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傷害事件にあってしんどかったこと 【さっくりわかる】

どんなことがあったの?

(5歳のとき)傷害事件の被害にあう

(小学時代)精神科に8回も入院

(小学時代)不登校になる

 

私は傷害事件の被害にあいました。

事件から辛かったことを、かんたんにご紹介しますね。

 

事件のこと

 

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 5歳の頃、近所の友だちと遊んでいたら、学生服の知らない人に呼び出された。

マンションの一角に連れられて、暴行を受けました。

殴られたり、蹴られたりされたらしいです。

その時の衝撃が強すぎて、記憶がうる覚えになってます。

 

目が覚めたのは家の中。

気を失って親と警察に運ばれたそうです。

 

事件を境に、人に対してこわくなりました。

医師からは複雑型不安障害と診断。(PTSDと中身は同じ)

 

 対人恐怖から、他傷行為が増えていきました。

祖母の目にシャーペンを刺そうとしたり、平手うちをしたり。

自分を守るのでいっぱいで、いろんな人を傷つけていったんです。

そして、心を落ち着けるため入院することに。

 

 

事件直後、恐怖心がいっぱいに 

 

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当時の私は、とても心が繊細でした。

 

怖くて怖くて、つねに恐怖心を抱えて苦しかったんです。

心の脆さのせいで、色んなものが実際より怖く見えてました。

 

外に出ると、誰もが悪い人に見えました。

街を歩く人が急に襲ってくるかもしれない。

急にポケットからナイフをだして向かってくるんじゃないか。

首を絞められるんじゃないか。

そんなふうに、恐怖でつぶれそうでした。

 

不安が空回りしていたこともあった。

電車に乗ってる人がみんな怖く見えてしまう。

大パニックになって、叫んだり、乗客の足を踏みまくったり。

今は当時の乗客のみなさんに謝りたい気持ちでいっぱいです。

 

こんなふうに、事件の後はすべての人が恐怖の対象でしかなかったんです。

 

言葉にすごく敏感 

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会話の中にも常に恐怖心があった。

 

友達の冗談が、いつも暴言のように聞こえてました。

みんな普通に話してくれてるんですけどね。

でも、みんなの言葉がぜんぶトゲがあるように感じたんです。

常に、言葉で傷つくことに敏感でした。  

 

「なんでやねん笑」っていわれただけでも

「なんで、お前そんなこと言うねん!だまれや!」

に聞こえてしまっていました。 

 

みんなと楽しくおしゃべりがしたかったなぁ。

もっと私に勇気があれば、会話を楽しめたかもしれませんね。

 

幻覚と幻聴

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見え方も、他の人とは根本的に違っていました。

 

当時はよく幻覚や幻聴がでてたんです。

夜寝てる時に、天井から無数の手が伸びてくる。

教室で40代くらいのおばさんが出現して、「お前は死ね」と言ってくる。

 

オバケのいる世界に迷いこんだみたいでした。

ただでさえ人が怖いのに、化物までみえたら安心できませんよね笑

 

絵を描くと、見え方の違いがよく表れます。

赤と青と緑、黄、紫、のハチの絵を描いたり。

実物と形が違ったり。

 

しんどいときって、本当に世界が違って見えるんです。

幻覚じゃなくても、そうゆうことみんなもありませんか?

 

入院中、苦しかったこと

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しんどさがピークになって、精神科に入院しました。

心を落ち着かせるための荒療治です。

毎年、夏と冬にだいたい入院していたので、小学校時代の半分は病院で過ごしてました。

 

低学年の時は、よく夜に泣きました。

家族に会いたくて。 

急に夜が寂しくなっていた。

 

「普通になりたいなあ」

「恐怖心がなくなってほしい。家族と普通に暮らしたい。」

夜、病棟の窓越しに街を眺めて泣いてました。

 

みんな!夜の病院は寂しいよ~

 

 

でも、辛いだけじゃなかったんです。

病棟の友達のおかげで、少し気分は楽になりました。

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精神科病棟のほとんどの子は、リストカットしていました。

傷跡が1cmくらいミミズ腫れになってたり。

死のうとするほど、辛かったのが傷の大きさから伝わります。

 

他にも、寄生虫マニアの親友ができたり。

多重人格の兄弟と楽しく遊んだり。

クセの強さは今まで苦しんできた証かもしれないですね。

 

夜になると、奇声がどこからともなく聞こえる。 

奇妙な世界だけど、私たちにとっては普通の世界、それが精神科病棟です。 

 

不登校時代

 

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精神科から退院した後も、学校になかなか行けませんでした。 

 

学校の建物自体が監獄みたいに見えてました。

黒ずんだグレーの壁、ひんやり冷たい床、先生の怒鳴り声。

病棟生活だった私には刺激が強かったんです。

白が基調だった病院から真っ黒の学校へのギャップにびっくりしましたから。

 

学校より、もっと安心できる居場所としてフリースクールに通いました。

入退院を繰り返しながらの通学でしたけどね。

小学校時代の半分は病棟生活で、残り半分が主にフリースクールです。

そういう意味でも、人間関係は普通とは違っていたのかもしれませんね。

 

安心できる場所で、人と触れ合うにつれて、徐々に学校に行きたくなりました。

初めは、1日だけ。

教室には行かずに、カウンセラーさんと一緒に校門をくぐってみたり。

すっごくドキドキしたけど、達成感が胸いっぱいになって涙がでました。

「私、今日学校の中に入れたんだ!」

 

校長室や、カウンセラールーム、保健室などいろいろ試してみました。

最終的に、さいごまで授業を教室で受けれるようになったんです。

ゆっくり自分のペースを守ったから、一歩ずつ踏みだせたんだと思っています。

 

 

学校に行き始めたときは、知らないことが多くてびっくりの連続でした。

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黒板消しクリーナーを生まれて初めて見て、使い方がわからなくて困ったり。

雑巾の洗い方や、休み時間のすごし方がわからなかったり。

 

学校内のコミュニケーションも大変でした。

私は冗談を受け止められなかった。

恐怖心もいっぱい抱えていました。

授業中、怖くなって教室を急に飛び出して、校庭の壁に頭を打ち続けたり。

 ふざけあいに慣れるのに、何年もかかったんです。

 

中学を卒業してから、徐々に不安がおさまってきた。

苦戦しながらも、支えてくれる友だち、先生の理解もあって、少しずつ歩みだせました。 

 

 まとめ

 

当時は、人が怖かったし、普通にコミュニケーションもとれなかった。

今では、子どもたちを支える仕事をしてるし、恐怖心もほとんどないです。

いまだにコミュニケーションのズレは少しあるけど、かなり改善できてきました。

 

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今の私になれたのは、自分のペースで1歩ずつすすめれたおかげ。

後ろに下がったり、前にすすんだり、をくりかえしていいんです。

 

私の書くこのブログで、みんなの1歩を支えたい。

勇気がでたり、安心したり、やってみたいと思えるように、私はいつも願っています。